去る7月17日より、ネパール国内線各空港で必要になる空港使用料が、それまでの170ルピーから200ルピーに値上げとなっています。
国内線航空券代には含まれておらず、各空港での支払いが必要になります。
2011年7月30日土曜日
2011年7月28日木曜日
雨季中のルクラ空港
ここ1週間ほど太陽があまり顔を出さない悪天候が続いているカトマンズ。しとしと雨も続いていて、ネパール国内線運航も乱れている。
エベレストトレッキング方面のルクラ空港は、3日連続全便欠航。それ以前も、記憶にある限り、全便欠航→翌日1往復のみ運航→その翌日はまた全便欠航、というような調子でずっと来ているので、あまりまともに飛んでいない。
ポカラ路線も、昨日は全便欠航。本日も、午前11時頃になりやっとポカラ空港離発着許可が出たようで、午前8時の始発便が、11時を過ぎてから飛び始めている状況だった。
しかし、ルクラ便もポカラ便も全便欠航になった昨日、ヒマラヤ遊覧飛行のマウンテンフライトは何便か飛んだようなので、雨だから何もかも欠航、というわけでもないのだが。
ところで、欠航の合間に唯一とんだ便で今週初めルクラへ向かった私たちのスタッフ。先に山入りしているゲストの荷物を、ルクラで待ち構えているポーターたちに託し、運ぶ際の指示を出したらすぐ同じ日の後発便でカトマンズへ戻ってくる予定だった。
しかし、当日は幸か不幸か彼らが乗った便しか飛ばず、翌日からまさかの3日連続全便欠航。
今晩もカトマンズは雨のち曇り。ルクラも降ったりやんだりとのことで、いつになったらカトマンズに戻れるのやら、と、暇を持て余しているそう。
そして、先日、チュクンから1日でルクラに戻ってきたガイドがいるのだが、せっかく標高差約2,000m、距離約35㎞を1日で歩いてきたのに、結局ルクラで足止めを食いカトマンズに戻れず3日経過。こんなことならゆっくり歩いてきたほうが時間がつぶせたのに。
そうこうしているうちに、他のガイドたちも下山してきて、本来ルクラで遭遇するはずのなかった者たちも集結。あれ、まだいたの?的なやり取りが繰り広げられているらしい。
これがトレッキングシーズン中だと、1~2日程度欠航が続くだけで、ルクラのロッジが満室になり、足止め客であふれかえるのだが、今はオフシーズン。ロッジが確保できない状態になることはまずない、というのが救われる。
シーズン中は、今日は飛ぶかも、と思い朝チェックアウトして空港へ確認しに行き、結局飛ばず、再びロッジに戻ってくると、もう部屋がない、というような状態が発生するのだ。
・・・
写真は2枚とも、フライト欠航時のルクラ空港。足止めを食っているスタッフが撮影。
ルクラ空港、短い滑走路は急勾配にあり、カトマンズを目指す際は、下降する加速度を利用し離陸する。滑走路の下は崖、まっすぐ飛んだら山肌に激突するから、離陸直後に急旋回しながら山間を縫って飛ぶ、スリル満点の空港なのだ。
2011年7月20日水曜日
偶然の出来事 4
今年3月頃に、偶然の出来事シリーズを3話書いたことがあったのだが、本日また、そんな体験をしてしまった。
極めて個人的な話題で、ブログに載せるようなことでもないのだが、、、と思いつつ、4話目として書いてみたい。
本題に入る前に、まず、12年前の出来事について書かなくてはいけない。
12年前、私はまだ日本に住んでいて、夏休みにミャンマーへ行った。帰国後何ヶ月か経った頃、日本の消印がある、しかし、差出人名にミャンマーの住所が書かれている手紙が、日本の自宅に届いた。
私が旅行中知り合った現地人が、その後かの地を訪れた日本人に私宛の手紙を日本から送るよう頼み、その日本人の方が帰国後投函してくださったのだ。
(今なら、現地人ともメアド交換、facebook名交換、などとなるのだろうが、当時ミャンマーではまだメールは一般的ではなかったのか、交換したのは住所だった)
投函してくださった方の連絡先があったのでお礼のメールを出し、その後何度かやり取りが続いたのだが、その方、本の編集の仕事をされている方で、取材でかの地を訪れた際、たまたまガイドとして雇った現地人から私宛の手紙を託されたのだと教えてくださった。
そんな縁で、その後出版された本を送っていただいたことがある。メールだけの一時の交流だったのだが、とても印象強い出来事だった。
・・・で、話が12年前から一気に本日へと飛ぶ。
私の旅行会社へ来店くださった方、やはり本の編集関係の仕事をされているとのことで、話しているうちに、12年前に、私に手紙を投函してくださった編集者の方とも長く付き合いがあることが判明。
同じ業種の方たちなので、それほど驚くべきことではないのか? いややっぱりものすごい偶然なのでは?などと、自分でも気持ちの整理がつけられず。
周りに回って、みんなどこかでつながっているというか、世界は狭いというか、どうもそういうことを実感させられることが多い。
極めて個人的な話題で、ブログに載せるようなことでもないのだが、、、と思いつつ、4話目として書いてみたい。
本題に入る前に、まず、12年前の出来事について書かなくてはいけない。
12年前、私はまだ日本に住んでいて、夏休みにミャンマーへ行った。帰国後何ヶ月か経った頃、日本の消印がある、しかし、差出人名にミャンマーの住所が書かれている手紙が、日本の自宅に届いた。
私が旅行中知り合った現地人が、その後かの地を訪れた日本人に私宛の手紙を日本から送るよう頼み、その日本人の方が帰国後投函してくださったのだ。
(今なら、現地人ともメアド交換、facebook名交換、などとなるのだろうが、当時ミャンマーではまだメールは一般的ではなかったのか、交換したのは住所だった)
投函してくださった方の連絡先があったのでお礼のメールを出し、その後何度かやり取りが続いたのだが、その方、本の編集の仕事をされている方で、取材でかの地を訪れた際、たまたまガイドとして雇った現地人から私宛の手紙を託されたのだと教えてくださった。
そんな縁で、その後出版された本を送っていただいたことがある。メールだけの一時の交流だったのだが、とても印象強い出来事だった。
・・・で、話が12年前から一気に本日へと飛ぶ。
私の旅行会社へ来店くださった方、やはり本の編集関係の仕事をされているとのことで、話しているうちに、12年前に、私に手紙を投函してくださった編集者の方とも長く付き合いがあることが判明。
同じ業種の方たちなので、それほど驚くべきことではないのか? いややっぱりものすごい偶然なのでは?などと、自分でも気持ちの整理がつけられず。
周りに回って、みんなどこかでつながっているというか、世界は狭いというか、どうもそういうことを実感させられることが多い。
2011年7月18日月曜日
ガイドブック「地球の歩き方」ネパール最新版とバンディプル訂正情報
前回の記事に引き続き、今回も、新しく発売された地球の歩き方ネパール版についてなのですが。
新版には、今まで紹介されていなかった新観光地「バンディプル」という古都が掲載されています(154~156ページ)。
ここ、欧米人には人気のある街だったようなのですが、地球の歩き方に今まで掲載されていなかったせいか、日本人には今まであまり知られることのない街でした。
新しく紹介されたことによって、日本人観光客も増えそうですね。
さて、そのバンディプルがどんなところなのか、というのは、地球の歩き方最新版をご確認いただくことにして...。
実は、このバンディプルが紹介されている154~156ページの中に、大きなミスがあったことが発売後に発見されたそうなのです。
それは、バンディプルへ行く際の中継地点となる場所の地名。ここ、バンディプルは、首都カトマンズ~第二の観光地ポカラを結ぶプリティヴィ・ハイウェイの途中にある「ドゥムレ(Dumre)」という場所を経由し、ドゥムレから乗合ジープに30分ほど乗っていくのですが、ドゥムレという地名が、「ドゥンチェ」という間違った地名で書かれてしまっているのです。
「ドゥンチェ」というのは、ゴサイクンダ方面へトレッキングへ行く際の、バス移動時の目的地となるところで、バンディプルへ行くときに通る「ドゥムレ」とは全く別方向にあります。
今後書店に並ぶ分については、訂正表が入るそうですが、現在発売されている分は、おそらく訂正なしのままなのではないかと思います。
地球の歩き方利用者の方が、バンディプルに行こうとして間違って「ドゥンチェ」へ行ってしまわないよう、関係者の方々、冷や汗ものだそう。
バンディプルへ行く際には、「ドゥンチェ」ではなく「ドゥムレ」を目指す必要がありますので、くれぐれもご注意ください!
新版には、今まで紹介されていなかった新観光地「バンディプル」という古都が掲載されています(154~156ページ)。
ここ、欧米人には人気のある街だったようなのですが、地球の歩き方に今まで掲載されていなかったせいか、日本人には今まであまり知られることのない街でした。
新しく紹介されたことによって、日本人観光客も増えそうですね。
さて、そのバンディプルがどんなところなのか、というのは、地球の歩き方最新版をご確認いただくことにして...。
実は、このバンディプルが紹介されている154~156ページの中に、大きなミスがあったことが発売後に発見されたそうなのです。
それは、バンディプルへ行く際の中継地点となる場所の地名。ここ、バンディプルは、首都カトマンズ~第二の観光地ポカラを結ぶプリティヴィ・ハイウェイの途中にある「ドゥムレ(Dumre)」という場所を経由し、ドゥムレから乗合ジープに30分ほど乗っていくのですが、ドゥムレという地名が、「ドゥンチェ」という間違った地名で書かれてしまっているのです。
「ドゥンチェ」というのは、ゴサイクンダ方面へトレッキングへ行く際の、バス移動時の目的地となるところで、バンディプルへ行くときに通る「ドゥムレ」とは全く別方向にあります。
今後書店に並ぶ分については、訂正表が入るそうですが、現在発売されている分は、おそらく訂正なしのままなのではないかと思います。
地球の歩き方利用者の方が、バンディプルに行こうとして間違って「ドゥンチェ」へ行ってしまわないよう、関係者の方々、冷や汗ものだそう。
バンディプルへ行く際には、「ドゥンチェ」ではなく「ドゥムレ」を目指す必要がありますので、くれぐれもご注意ください!
2011年7月16日土曜日
1ヶ月32日間ある月(ネパール、ビクラム暦)
今日からネパール公暦ビクラム暦4番目のサウン月が始まる。
昨日までのアサール月に引き続き、一か月32日間もある月。
毎年年に1~2回、一か月32日間の月が含まれるビクラム暦だが、2ヶ月連続32日間というのは珍しい。
さて、今月のサウン月。
ヒンドゥ教徒にとって、いつもに増して信仰心が高まる月。
殺生を避けるため、爪や髪を切らずに過ごす人も。
このためアサール月最後の昨日は、駆け込みで床屋へ駆け込んだ人もいたようだ。
昨日までのアサール月に引き続き、一か月32日間もある月。
毎年年に1~2回、一か月32日間の月が含まれるビクラム暦だが、2ヶ月連続32日間というのは珍しい。
さて、今月のサウン月。
ヒンドゥ教徒にとって、いつもに増して信仰心が高まる月。
殺生を避けるため、爪や髪を切らずに過ごす人も。
このためアサール月最後の昨日は、駆け込みで床屋へ駆け込んだ人もいたようだ。
2011年7月11日月曜日
地球の歩き方ガイドブックのこと
海外旅行に欠かせない「地球の歩き方」。ネパール編が約2年ぶりに新しくなり、最新版が7月8日に発売された。名前も「ネパールとヒマラヤトレッキング」に変わり、トレッキングのページが以前のものより充実している。
私、4年前より、改訂にあたり現地調査(取材)のお手伝いを、微力ながらさせていただいている。2007年に、担当の方から、取材のお手伝いの話を偶然いただいたのがきっかけだ。
そういう関係もあり、巻末ページに私の名前を載せていただいている他、コラムをいくつか書かせていただいたり(最新版では65ページと215ページに掲載)、使われている写真の中に、取材に同行させていただいたガイドが小さく写っていたりする。(アンナプルナ方面トレッキングのページに、いくつか豆粒ぐらいに写っていて、当事者でないと識別不可能だが...)
また、当ブログも、旅の情報収集のページ(287ページ)でご紹介いただいている。
私の会社の汚いトイレの写真も、健在(?)だった(310ページ)。
そんなこともあり、単なる一利用者だった時より、愛着を持って使っている。毎日何かしら開いているので、旧版などはボロボロ。
そして今回は、半ページ広告も入れさせていただいた(41ページ)。
ネパール入りする旅行者の手に、最新版が握られるのを見かけるのを、今から楽しみにしているところ。
私、4年前より、改訂にあたり現地調査(取材)のお手伝いを、微力ながらさせていただいている。2007年に、担当の方から、取材のお手伝いの話を偶然いただいたのがきっかけだ。
そういう関係もあり、巻末ページに私の名前を載せていただいている他、コラムをいくつか書かせていただいたり(最新版では65ページと215ページに掲載)、使われている写真の中に、取材に同行させていただいたガイドが小さく写っていたりする。(アンナプルナ方面トレッキングのページに、いくつか豆粒ぐらいに写っていて、当事者でないと識別不可能だが...)
また、当ブログも、旅の情報収集のページ(287ページ)でご紹介いただいている。
私の会社の汚いトイレの写真も、健在(?)だった(310ページ)。
そんなこともあり、単なる一利用者だった時より、愛着を持って使っている。毎日何かしら開いているので、旧版などはボロボロ。
そして今回は、半ページ広告も入れさせていただいた(41ページ)。
ネパール入りする旅行者の手に、最新版が握られるのを見かけるのを、今から楽しみにしているところ。
登録:
投稿 (Atom)