ブログ移転のお知らせ

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2006年5月31日水曜日

ドゥリケル方面小旅行



カトマンズから東に約30kmのところにあるドゥリケル(標高約1500m)に、用があって行ってきた。チベットへ陸路で行く際に通ることになる町でもあり、カトマンズから約20km離れているナガルコット(標高約2200m)と並ぶ、カトマンズ近郊の展望台として知られている場所でもある。

過去、カトマンズ盆地外の村に行く際に、何度かバスで通過したことはあったのだが、一番最近で6年前。その当時と比べると、日本のプロジェクトによって道はとてもきれいに整備されていて驚いた。

排気ガスがひどく、交通マナーも悪く、イライラすることの多いカトマンズ中心部から少し郊外に出ると、そこには、気持ちのいい空気と、景色が広がっている。特に雨期に入りかけのこの時期は、スコールにあった後の濡れた緑も美しい。

すでに田植えも始まっていた。田への水の供給は、天からの雨に頼ることの多いネパールの田植え法。昨年は、田植えを終えたはいいが、なかなか雨が降らずに、田が干からびてしまうような事態にもなっていたが、今年はすでにまとまった雨が定期的に降っている。写真はパナウティ村の田植え光景。

ドゥリケル到着後の用事はすぐに済み、まだ日没まで時間があったので、だいぶ前に何度か訪れたことのある小学校へ行くことにした。ドゥリケルから約20kmほど離れた場所にある村の学校。

まだ私が旅行者だった9年前、私よりも1つ年上の女性に連れて行ってもらったことのある懐かしい場所。その後も何度か訪れたことがあるのだが、こちらに住み始めてからは、訪れたことがなかった。

私をそこまで連れて行ってくれた当時20代前半だった彼女は、生まれてから一度も学校に通ったことはなく、話せる言語はネパール語と、わずかな英単語のみ。3度目のネパール訪問だったとはいえ、ネパール語は2~3の単語しか話せなかった私と彼女、一体どうやって会話をしていたのだろう、と思うと、おかしい。でも、道中、彼女が話してくれる家族の話や今後の夢など、わかったような気になっていたから、不思議だ。



そんなことを思い出しながら、村を目指す。途中まではバスが走るきれいに舗装された道が続いているが、その後は舗装されていない車も通らない道を歩くしかない。

標高約1500mのドゥリケルから約20kmほどしか離れていないこの村だが、標高は一気に低くなり500mほど。このためか、高原の気候であるドゥリケルとは比べ物にならないぐらいの、蒸し暑い空気が流れていて、育っている果物も、南国風。ライチ、マンゴー、パパイアなどが、ちょうど食べごろとなっている。とうもろこしも、カトマンズのそれより、かなり成長している。



村の小学校に近づくと、村人たちが立ち話をしていた。もうだいぶ年月がたつのに、私のことを覚えてくれている。当時一緒に写真を撮った見覚えのある顔ぶれが、近寄ってくる。10歳だった女の子が、19歳の女性に成長していたり、子供が増えている人がいたり、嬉しい再会。

人々は何も変わっていなかったが、一番の変化は、電気が引かれていたこと。当時はまだ、この村までは電気が来ていなかったのに、今ではテレビを置いている家もあった。電話線が引かれていないが、電気が通り、電波も通じるようになって、携帯電話を持っている人もいて驚いた。村訪問中、私の携帯にもカトマンズからの電話が入りびっくりさせられた。

屋外にトイレを作るようになっていたことも、変化だった。ネパールの村では、トイレを作る習慣がないことが多く、畑のすみや草むらの茂みすべてが天然トイレとなる場合も多い。その村でも私が訪れた当時はそうだった。深夜、無数のホタルを見ながら、野外で用を足したのも、懐かしい思い出。 

ある家で、もぎたてのパパイアをご馳走してくれた。もぎたては太陽に当たって生暖かいから、といって、近くの井戸からくんできた水で冷やしてくれる。

美味しくいただいたのだが、そのせいだろうか、それとも、ドゥリケルのホテルでオーダーした、夕飯のせいだろうか。夜中にひどい腹痛と吐き気と下痢に襲われ、それはもう、大変なことになってしまった(苦笑)。パパイアや井戸水ぐらいでは体調を壊すことのない体になっているので、多分、ホテルで食べたメニューに入っていた、ひき肉が傷んでいたのじゃないかと、にらんでいる。ドゥリケルでは良い部類に入るホテルだったのだが、雨期前のこの時期、宿泊客はほとんどいないといっていたし。

そんなこんなで小旅行を終えた。

2006年5月29日月曜日

ネパール版ロハスな習慣

話が何日か前のネタにさかのぼるのだが、先日かぼちゃのつるの話題をし、画像も掲載した。その写真を、もう一度良く見てもらいたい。束になっているかぼちゃのつる(茎)3束。束ねるために使われているモノに注目。日本のようにビニール製の紐を使うことはまずなく、藁で束ねるのが一般的。

別に、ゴミを減らすため、とか、環境にやさしく、とか、そういうことを意識して使われているのではなく、ただ単に、農家では不要な藁がどこにでも手に入るから、ビニール紐を買って束ねるより経済的だから、というのが理由。

エコだのロハスだのシンプルライフだのという、カラダとココロと環境にやさしいことをファッション化するために先進国で使われている、なんとなく地に足着いていない感のあるコトバ。食と環境を意識して育てられた私にとって、個人的にキライだし安っぽく感じるコトバではあるが、そんなコトバを使って今風に言えば、ネパールではみんな普通に、ロハスな生活をしているのだ。

でも、都会でよく目に付く光景、ビニール袋の使いすぎと、ゴミをあちこちどこにでも捨てる習慣は、いただけないけれど。

2006年5月28日日曜日

箒(ほうき)を運ぶおじいさん



道で見かけた、クチョを運ぶおじいさん(前から見たら、おじさんではなくおじいさんだった)。

一本一本は軽いクチョ。でも、これだけ束になると、けっこう重いんじゃないかな。

2006年5月27日土曜日

郵便局にまつわる話:第2話



前回のつづき)

カトマンズ中央郵便局の小包引渡し場所は、近くにトイレがある。扉がいつも全開のため、私の鼻は、年中異臭を察知する。単なるアンモニア臭だけではない、複雑なニオイ。鼻は一番麻痺しやすい感覚とはいえ、よく、こんな場所で一日中仕事ができるなと、感心してしまう。しかし、よく感じることだが、私と、こちらの人たちがクサイと感じる感覚は、かなり違うから、特に気にすることもなく、局員は普通に仕事をしている。

どこの役所にも共通して言えることだが、局内は無意味にだだっ広く散らかっている。置いてあるベンチはいつも埃だらけで、人が座った後のお尻の形の部分だけ、埃がぬぐわれている状態。なんだか妙に恥ずかしくなる。別に私が恥ずかしがることもないのだが。

床や作業台には、荷物からはがされた送付伝票が常に散乱している。写真は、こんなに伝票が散乱しているのに、誰も何にも感じないのかニホンジンの私としてはかなり不思議に思えてしまう、郵便局の床。

狭いカトマンズの中の狭い日本人社会、過去、在ネ日本人で知っている人の名前が書かれてある伝票が捨てられているのを、何度も目にしたことがある。へえ、けっこうみんな、日本から、食料とか送ってもらっているんだなあ、などと伝票を眺めながら思う、趣味の悪い私。見たくなくても作業台の上に無造作に置いてあって、目に付いてしまうからしょうがない。

多分、本人が赴かず、ネパール人に荷物の受け取りを頼むと、こういう結果になるのだろう。個人情報の取り扱いをなんとも思っていないこちらの人たちは、人の名前や住所が書いてある伝票を、平気でその辺に捨てる。そういうのがイヤで、私はいつも、自ら郵便局に荷物を取りに行っている。でも、局員の手から伝票がその辺に捨てられるシーンを見ることもよくあるので、自分で荷物を取りに行ったところで、実は、あまり意味はないのだが。

(郵便局にまつわる話、とりあえず、おわり)

2006年5月26日金曜日

郵便局にまつわる話:第1話(ネズミは海苔が好き?)

いつも日本に帰国した際には、自分宛の荷物を日本からネパールまで船便で送る。中身は、たんすに眠っていた古着や、食材など。今年2月に帰国した際にも、2箱約30kg分の荷物をカトマンズの自分宛に送っていた。

ネパールでは、郵便物の自宅配送システムは一般的ではなく、ハガキ1枚から大きな荷物まで、自ら郵便局まで取りに行かなくてはいけない。荷物が届いている旨の通知は私書箱に入る。日本から送った荷物は、約3ヶ月弱かけてカトマンズに到着したようだ。数日前に到着の通知をもらっていたのだが、受け取りを延ばし延ばしにしていたところ、本日、至急受け取りに来るように、と、郵便局から直接連絡が入った。

通常、普通小包の場合、カトマンズに到着しても上記の通り私書箱に通知の紙が入るだけ。電話連絡が来ることなどない。今回はサービスが良くどうしたのかと思ったら、『荷物の中身が食料品らしく、ネズミに食べられかけているから至急取りに来るように』とのことだった(笑)。



写真は、受け取った荷物の外側。

局内小包置き場のネズミには、以前も被害に遭っている。

ネズミの仕業かチュチュンドラの仕業かは知らないが、待ちに待った日本からの食材を、ダメにされては腹が立つ。早速取りに行った。

ダンボールには数箇所かじられた痕跡が残っている。一体何を食べられたかというと、、、。



被害品はコレ。海苔2パックと、お茶の袋。きっと、バリバリかじりついたんだろうなあ、という見事な食べっぷり。クヤシイ!

つづく

2006年5月25日木曜日

本日の初物 :かぼちゃのつる



すでに出始めてはいたのだが、近所の八百屋にまだ並んでいなかったので、食べていなかったコレ。今夏の初物となる夏の野菜。かぼちゃのつる。

そういえば、2~3年前、母屋サイトにかぼちゃのつるネタを掲載した後、検索すると『かぼちゃのつる』というキーワードで母屋がヒットしていた時期があり、旅行とは関係なくサイトを訪れる人が続出したことがあった。かぼちゃのつると、ネパール旅行のサイトの間には、何の関連もなく、1人ウケていた。

野菜も豊富なネパールで、代表的なもののひとつ。日本では食料が不足していた戦時中に食べられていたイメージが強く、貧しさを連想してしまう人も多いようだが、そういう先入観を持たなければ、なかなか美味しいし、調理後の色もきれいだし、栄養価も高そうで、夏には欠かせない豊かな野菜だと、個人的には思っている。

でも、私が持っている食品成分表には、かぼちゃのつる/茎/葉の成分についての記載は残念ながらない。つまり、今の日本では、食されていないということだろう。

調理法は、いろいろ試してみたけれど、やっぱりネパール流タルカリにして食べるのが、一番かな。

2006年5月23日火曜日

すもも



夏の果物シーズン。マンゴー、スイカ、ライチなどが美味しい季節。

今が旬の果物の1つ、すもも。今日は知人宅になったすもものおすそ分けをもらう。



とりあえず初物のすももは、生食(*)に決定!

2006年5月22日月曜日

こちらの人たちは、かぎばあさん並みに、いつも大量のカギをジャラジャラ持ち歩く。

私の家(一軒家の1階部分を借りている)にも、玄関、勝手口、部屋の鍵を合わせると、全部で8つある。すべて似たような鍵だから、番号をふっておかないと、どれがどの鍵が分からず、一つ一つ差し込んでかかるかどうか試さなければならない。

きちんとすべて戸締りをするとなると、それだけで一仕事。だから通常は、玄関の鍵しか持ち歩かず、他のは束にして、大事に室内に保管してある。

鍵は鍵でも、いろいろなタイプのものがある。上記の通り、ドアに鍵穴がついていて鍵(saa(n)cho)を差し込んで使うもの(写真1番目。ノブの下に鍵穴がある)、スライド式(chukul/cheskin)のもの(写真2番目)、閂状(gajabaar)のもの、備え付けの鍵がないので別途南京錠(taalchaa)が必要となる場合、などなど。(カッコ内は該当ネパール語)





さきほど、私の家にはすべて合わせて8つの鍵があると書いたが、これは鍵穴に鍵を差し込むスタイルの鍵の数。スライド式の鍵にいたっては、数えてみたら何と、134個(!)あることが判明。

鍵の種類はどうであれ、ドア1つに何個も鍵がついている場合も多いから、ワンフラットに8+134=142個もの鍵が存在する結果となる。

たとえば、私の家の玄関。計5ヶ所に鍵がついている。



また、一般的な家庭の窓(下の写真)。上下2ヶ所にスライド式(以下チュクルと表記)の鍵がついている。たいてい、内側に網戸用の窓、その外側に鉄格子、更にその外側にガラス窓、という構造になっているから、窓を開け閉めするときは本当に大変。



窓を開け、網戸だけにする作業を言葉で説明してみよう。どういうことになるかというと、網戸用の窓の上のチュクルを開け、下のチュクルを開けたあと、鉄格子の隙間から腕を外側に出し、ガラス窓の上のチュクルを開け、下のチュクルを開け、ガラス窓を外側に開いて、手を鉄格子の隙間から内側に引っ込め、また、さっき開けたばかりの網戸用の窓の上のチュクルを閉め、下のチュクルを閉め、ようやく窓が網戸状態になるというわけ・・・

・・・実際に開けた経験のない場合は、何を言っているのか意味不明だと思うが、ひとたび窓を開けて網戸にしようと思うと、のべ6ヶ所の鍵をいじらなくてはいけないということで、とにかく面倒なのだ。ちなみにこの(窓を開けて網戸だけにする)作業、日本で一般的に使われているアルミサッシの窓だったら、1ヶ所の鍵を開けて、ガラス窓をさっとスライドさせて終わり。

鍵にまつわる話はまだまだある。冷蔵庫や電話にも、なぜかフツーについている、鍵。





これって、南アジア特注製品?ずっと意識することなく使ってきたが、よく考えると日本では見かけたことがなかったし、在米10年以上経つ妹が先日こちらに来たときも、初めて見たと笑っていた。日本アメリカではなじみのない冷蔵庫や電話の鍵だが、ネパールをはじめとする諸外国では一般的なのか?

そういえば、冒頭に出した『かぎばあさん』は、子供用物語の主人公。小学校の頃、大好きでよく読んだものだ。いつも大量の鍵を持ち歩いていて、鍵を忘れたり失くしたりして家に入れない鍵っ子たちの前に現れ、助けてくれる、というストーリー。

このかぎばあさん、なぜ、いつも、どんな鍵でも簡単に開けてしまえるようになっかというと。食いしん坊のかぎばあさんが子供の頃、いつも冷蔵庫を開けては何かを食べていて、ついにチフスになってしまったのだ。そこで、親が冷蔵庫にも鍵をかけるようになってしまったのだが、それ以降、かぎばあさんは鍵について興味を持ち出し、どんな鍵でも開けてしまえるようになった、といういきさつが、確かある。

今ふと思い出してみたこのシーン、なんだかネパールに共通する部分が出てくる。チフス、冷蔵庫の鍵、などなど。ネパールで見かける冷蔵庫の鍵、人々がジャラジャラ持ち歩く大量の鍵、かぎばあさんと何か関連があったり、、、するはずないか。

2006年5月20日土曜日

しょうが汁効果!?

月に2回ほど、地元の人しか通わないような美容院に行く。美容院は女の園という感じ。男性立入厳禁。客やら近所に住む暇な女性やらでいつも賑わい、どうでもいい世間話に花を咲かせている。井戸端会議の場という感じでもある。

大抵くだらないウワサ話で盛り上がっていることが多く、ヒマなオンナの世界はどこでも同じか、、、と半ばうんざりしながら盗み聞きしているのだが、昨日美容院を訪れたときには、なかなかためになる(?)話題を真剣な面持ちでしていた。

女性1:私の眉毛、もうちょっと太くしたいんだけど、なかなか生えないのよねえ。

女性2:あら、そんなことなら、しょうが汁つけてみなさいよ。すぐ生えてくるわよ。

女性3:私もきいたことあるわ、そのハナシ。

女性1:へえ、じゃあ試してみようかしら。

女性2、3:試してみなさいよ!!

とこんな感じ。つまり、しょうが汁は育毛&発毛効果があるというわけ?か。薬用効果もあるしょうがだが、発毛効果は初耳だ。でも、ありえそうな話でもある。

さて、この手の民間療法的な話題(または、おばあちゃんの知恵袋的な話題)は、こちらの人の得意とするところ。以前も話題に出したことがあるが、捻挫にはなめくじ丸のみが効く、とか、耳ピアスやフリ(鼻ピアス)の穴が膿んでしまったら、朝一で葉っぱの上にたまっているしずくを見つけ、膿み口にたらすと効く、とか、真顔で言うから、思わず試してみたくなってしまう。(実際、後者はフリをあけたばかりの頃、試させられたことがある。はっきりいって、効果はゼロだったが。苦笑)

2006年5月19日金曜日

箒(ほうき)にまつわる迷信

ネパールには、いろいろな迷信(俗信)があり、それを今でも信じながら生活している人は多い。

一昨日の話題にしたほうきにまつわる迷信(俗信)もよくきく。その中で、主流中の主流、現地人の多くが守っているもの。

ネパール人の家庭を訪問する機会があれば、ほうきが置かれている様子を観察してみるとおもしろい。掃く部分が上になっていること(逆箒状態でおかれていること)は、多分絶対にないから。なぜか? 逆箒は、自分に対して密かに敵意識を持っている者をも、まっすぐ置かれたほうきのように強くしてしまう、それは、自分に災いが降りかかる可能性が出てくることにつながる、だから、逆箒は避けるのだ。

また、ほうきを誤って踏んでしまったり、足で触ってしまったり、あるいは雑に扱ってしまったりしたあとには、必ずほうきに対しての罪を償うしぐさ(ほうきと自分の体の一部を交互に触るしぐさ)をする。なぜか? ほうきに足が触れてしまったりすると、首が痛くなってしまうことがある、という不思議な俗信があるのだ。だから、そうならないように、あらかじめ罪を償うというわけ。

そのほかにも、夜、掃き掃除をすると富(ラクシュミ神)が家から逃げていく、という俗信も信じられている。

ちなみに、俗信の解釈の仕方は、上記の通りであるとは限らない。民族、カースト、信仰宗教の違うたくさんの人に聞いてみると、違った解釈が聞けることがあって、なかなかおもしろい。

2006年5月17日水曜日

箒(ほうき)のある生活



こちらのほうき(ネパール語ではクチョ:kuchoという)は一般的に柄がない。柄があるのもあるが、私は断然、柄ナシ派。

以前も書いたことがあるが、前の晩の残りのお茶ガラを床にまいて、しゃがみながら静かにほうきがけをするのが、私の朝の日課。古いスタイルの馬鹿でかい掃除機もあることはあるのだが、箱から出して組み立てるもの面倒だし、機械音も耳障り。やっぱり朝は、お茶ガラの残り香つき掃き掃除に限る。気分も落ち着くし、楽しい。

家にはいつも、2種類のクチョをそろえている。穂先(というのか?掃く部分)がやわらかいものと硬いもの。やわらかい前者は、ネパール語でアムリソ(amriso)と呼ばれる植物を束にして作られている。はたきの代わりにもなるし、隅々の埃まできれいに集めてくれるすぐれもの。硬い方は竹箒。

さて、今日、アムリソのクチョ(日本で言うシュロぼうきに似ている方のほうき)を買い換えた。今まで使っていたものの穂の部分が少しずつ抜け落ちて細くなってきて、掃き具合が悪くなっていたのだ。

室内用にはたいてい2~3ヶ月に1本ぐらいのペースで新しいものに買い換えている。村では、手作りほうきを使う家庭も多いが、私は近くのローカル商店に売られている物を買う。

新しいクチョは、やわらかくしなって使いやすいのだが、ひとつ難点がある。それは、原料であるアムリソの粉が大量に落ちること。そのまま使い始めると、逆に室内が粉だらけになってしまう。だから、使い始める前には、屋外で、これでもかというぐらいに粉をはたき払うことが必要。粉が出なくなって初めて、使い勝手の良いクチョになるというわけ。

商店で売られているクチョは、既製品とはいっても、手作り感にあふれている。そして、毎日使っているうちに愛着がわいてくるもの。掃きごこちが悪くなった(だんだん穂が抜けて細くなってしまった)分も捨てるには忍びないので、何本かまとめて1本の太いほうきに仕立て直し、屋外用として使うことにしている。

写真は、アムリソのクチョ。全長約70cm。

2006年5月16日火曜日

交通安全のお守り

日本では、交通安全祈願のお守りを車内に置いている(ぶらさげている)車を見ることがある。

では、ネパールでは交通安全祈願のために、何をどこにぶら下げるかというと、、、



車体の後部下に、靴をぶら下げる。公共バスやタクシーに多く見かける。

無謀な追い抜き/無意味なクラクション連打/当たり前の顔して逆走等するのはバスやタクシーが多いから、そういう運転やめるのが、一番の交通安全への近道だと思うけど・・・。



見慣れないと一瞬ぎょっとする、車体下の靴ぶら下がり。

えっ、まさか人ひいてきたんじゃないでしょうね?と思ってしまうかもしれないが、そうではないのだ。

2006年5月9日火曜日

ガイドのトレッキング日誌宣伝




ガイドのトレッキング日誌
、3日半分、久々に更新。

今進めている分の筆者(ガイド)は、もともとエベレスト方面の学校で、英語を教えていた過去を持つ者。26歳、2人の子持ち。

米国グリーンカードが当たり、村で盛大なパーティーを開き、渡米のためカトマンズに上京してきたのはいいが、米国入国許可が下りずに、未だカトマンズで細々と暮らしているという、なんとなく気の毒な彼。

村で英語教師として働いていたほうが、家族4人生活するには十分足りる給料をもらい、安定した生活を送れていたというが、『アメリカに行ってくる』といって村を出てきた以上、今更のこのこ帰るわけにも行かず、トレッキングガイドをしながら生計を立てている。

さて、彼が書く日記は、他のガイドのそれとは違い、美しい表現を用いながら、具体的な内容を書いてくれていて、読んでいて楽しい。彼が書く字は元先生らしく達筆すぎて、時に解読困難な部分も。しかも1回の日記が長い。そんなこんなで、前回の更新から1ヶ月ほどあいてしまっていた。

2006年5月6日土曜日

御礼

このブログの(延べ)アクセス数が、今日50000を超えた。

昨年末25000にやや満たないぐらいの数で、今年元旦、サイドバーに、『1年かけて5万ヒットいけばいいなあ』、というようなことを書いていたのだが、4月の情勢悪化も手伝って(?)か、早くも、本日到達。

いつも訪問してくださっている皆様、ありがとうございます。



いつだかのブログにも書いたのだが、ネパール生活、私の場合は、カトマンズリングロード(カトマンズ市とパタン市を結ぶ周囲約20kmの環状道路)内でほとんどを過ごしている。つまり、直径6~8kmの中を、せこせこ動き回っているというわけ。

四方を山に囲まれたカトマンズ盆地。西にはスワヤンブ・ナート(仏教寺院)が小高い丘の上に建っていて、どんなときも変わらぬ瞳で四方を見守っている。写真は、今年元旦に撮った初日の出とスワヤンブナート。

山々やブッダアイの下に位置するカトマンズは、いつも何かに守られているような居心地のいい場所ではあるけれど、ずっとこういう狭い空間に暮らしていると、自分の考えまでもが狭くなっていくのがよくわかって、時々怖くなる。

だから、定期的にネパールを離れることは、気持ちをリフレッシュさせるためにも重要だと思っているのだが、頻繁に国外に行くこともなかなか難しい。しかし、カトマンズを離れれば、新たな気持ちになることができる。このため、リングロード外に出るだけでもいいので、普段の日常とは違う場所に、時々は身を置いてみることにしている。

前置きが長くなったのだが、今年元旦、このブログが5万ヒットを迎えたら、ちょっと贅沢に郊外で過ごそうと決めていた。行き先を考えながら、しばらくは小旅行実施前の計画練りを楽しみたいと思っている。

2006年5月4日木曜日

長距離バス乗り場



カトマンズ、パタンを含めた何箇所かに大きなバス乗り場(バスパーク)はあるのだが、その中でも、各地を結ぶ長距離路線(ローカルバスのみ)の発着地点となっているのが、ナヤ・バスパーク(ニューバスパーク)。タメル(旅行者が多く集まる地区)から2kmほどまっすぐ北上したゴンガブという場所にある。

今日、ちょっとした用事で、久々にこのナヤバスパークを訪れた。近くを通り過ぎることはよくあるのだが、中まで入っていったのは、実に3年半ぶり。心なしか、きれいになった気がした。




さて、ここはローカルバスのみのバスパークというだけあって、チケット販売カウンターの表記はほぼネパール語のみ。でも、外国人も利用することが多い路線のチケットカウンターには、英語表記もあるので分かりやすい。

たとえば、、、




南ネパールを通過してインド方面(バラナシ)へ抜けるなら、この看板が目印。

Sunauli(カタカナで書くと『スノウリ』)は、ネパール・インド国境の町(ネパール領)。カトマンズからだと、日中の所要時間は順調に行って10時間ぐらいだろうか。(カトマンズ~スノウリ間直線距離で約200km弱しかないのだが、こんなに時間がかかる)




ランタン方面のトレッキングに行くなら、この看板が目印。

ゴサイクンダ・トレッキングが目的なら、Dhunche(ドゥンチェ)まで、ランタン谷・キャンジンゴンパ・トレッキングが目的なら、Syabrubesi(シャブルベシ)で降りればよい。カトマンズから約100km、所要時間は8~9時間。




インドのダージリンまで行くなら、この看板。カトマンズからのダイレクトバスで、運賃たったの700ルピー(約10USドル)。ネパール人、外国人ともに同額というから、今すぐにでも乗っていきたくなってしまう。

でも、外国人はインド入国時に事前に取得しておいたビザが必要で、インド側に抜けるにはイミグレがある町を通過する必要があるから、そういうわけにも行かない。このバスはイミグレがある町は通らない。

このため、外国人はインド国境に近いネパール最後の町までしか乗せてくれないとのこと。

ネパール人は、インド入国時にビザ不要なので、カトマンズ~ダージリンまで一気に行くことができる。カトマンズ~ダージリン間は、直線距離だと300kmほどしかないが、車道が通っている道を行くと、所要日数1日半~2日ぐらいはかかる。

今回このバスパークを訪れたのは、前述の通りの理由で、特に、どこか遠くへ行く予定があったわけではない。でも、こういう場所に来ると、空港とか、大きな鉄道の駅とか、そういう場所に身を置いた時と同じで、今すぐにでもどこか遠くに旅立ちたくなるような、いてもたってもいられない気持ちになる。

2006年5月3日水曜日

異次元感覚



日に日に暑さが増しているカトマンズ。湿度がない分救われているが、日中は30度を越している。外出すると、強い日差しにクラクラしてくるぐらい。

このブログでも何度か話題に出したジャカランダ(Jacaranda)の花。先日外出禁止令継続中にも写真をアップしたのだが、そのときよりも、紫色も濃くなり、きれいさを増している。だんだん葉桜ならぬ葉ジャカランダの木々も増えつつあるから、見頃はあと1週間ぐらいだろうか。

===

さて、どうでもいいことなのだが。

日本では、中学に入ると算数から数学に呼び名が変わり、その数学で、初めて-(マイナス)を学ぶ。

真新しい教科書を開くと、最初の単元に『正負の数』などと書いてある。なんで、プラスが正しくて、マイナスは負けなんだろう?と、真剣に悩んだ中学1年の頃を思い出す。

それはさておき、中学数学の教科書で初めて出てくる『負』すなわち『マイナス』は、確かこのように扱われる。

『東に5km進んだことを+5kmとあらわすならば、西に3km進むことを-3kmとあらわす』

『昨日から今日にかけて本を10ページ読んだということは、今日から昨日にかけて-10ページ本を読んだということ』

数学が好きになるかならないかというのは、真剣に考えてしまうとわけが分からなくなるこういう概念(なぜ西に進むことをマイナスであらわすのか?-10ページ本を読むって、どういうこと?)を、すーっと理解できるかできないか、にかかってくる。

かくいう私も、先述の通り『マイナスがなぜ負け』なのか?という、本来の数学とは関係のないどうでもよいことを考えてしまう、数学キライの中学生だったのだが、なぜか多くの中学生がつまずく因数分解で数学好きになってしまい、その後理系(理数系ではなく、どらかといえば生物系だが)に進んだという過去を持っている。

また余談が長くなったが、

昨日、約2ヶ月ぶりでスクーターを定期メンテに出した。不調続きだったので、修理もお願いした。

戻ってきたときには、メンテと、頼んでいた修理以外に、購入時から壊れていた走行距離表示カウンターも直してくれていた。以前乗っていたスクーターも、今乗っているスクーターも、どちらも中古で、走行距離表示カウンターは動いたことがなかった。だから、直してもらったカウンターが動くのを楽しみに、わくわくしながら走らせた。

スクーターを走らせると、確かに、走行距離表示カウンタの数字が動いているのがわかる。新鮮な気持ちで、ちらちらと表示カウンターを気にしながら走る。

・・・と、すぐに、おかしなことに気がついた。始めは10183.3kmを示していたカウンターが、少し走ると10183.0kmとなったような気がしたのだ。数が戻ったような気がするのだが、気のせい?

なんとなく、狐につままれた気分で、さらに、ちらちらと表示カウンターに目を走らせながら運転を続けてみる。しばらく行くと、表示数は10182.5kmになった。

・・・まさか?でも、そうとしか考えられない。

カウンタを直してくれたのはよいのだが、何をどう間違えたのか、走行するに連れて、カウンタ数が減っていくように設定してしまったらしい。

逆表示カウンタでも、走行数は計算すれば出る。でも、なんとなく不思議な、というか、他の世界に入り込んでしまったような気がして、ヘンな気分だ。

今日も走らせて、走行数は昨日と比べて-5kmぐらいになった。つまりは、符号は気にしなくてよいのだから、昨日よりも5km走行距離数が増えた、と単純に理解すればよいのだが、こんなときに限って、中学1年のときに出てきた、マイナスの概念を思い出してしまう。

-5km走ったということは、私は5km分、過去にさかのぼったということ?つまり、5km分、得したと考えるべき?それとも、損したと考えるべき?

・・・どうでもいいことなのだが、カウンタを正常に戻してもらうまでは、異次元感覚は続きそうだ。

2006年5月1日月曜日

××ンドラという名前

一昨日、チュチュンドラの名前に対して、国王のような名前ですね、というコメントをいただいた。確かに、 ××ンドラという(男性の)名前は多い。

今日は、その簡単な解説をしてみたい。

××ンドラとつくネパール人の名前で思いつくのは、たとえば、

現国王・ギャネンドラ
前国王・ビレンドラ
前皇太子・ディペンドラ
前々国王・マヘンドラ

そのほかにも、スレンドラ、ナレンドラ、ヨゲンドラ、ジテンドラなどなどたくさんあるのだが、これらの名前には、ちゃんと意味がある。

現国王の名前を用いて、名前を分解してみよう。

『ギャネンドラ』(Gyanendra)は『ギャン』(Gyan)と『インドラ』(Indra)に分けられる。これと同じように、上記の名前はすべて『○○+インドラ(Indra)』に分けることができる。

では、すべてに共通するインドラ(Indra)とは何かというと、天国に住む神の名前。

語幹の○○の部分にも、すべて意味がある。

ギャネンドラのギャン(Gyan)は、知識。
ビレンドラのビル(Bir)は勇敢。
ディペンドラのディプ(Dip)は明かり。
マヘンドラのマハ(Maha)は偉大。
スレンドラのスル(Sur)も勇敢。
ナレンドラのナラ(Nara)は人(人類)。
ヨゲンドラのヨガ(Yoga)はヨガ(日本でもブームになっているヨガ。でも、実際のヨガは、ポーズだけではなく、精神を鍛えるところに重点が置かれる)。
ジテンドラのジトゥ(Jit)は勝利。

つまり、どれも、名前負けしそうなすばらしい名前じゃないか!ということになる。

ちなみに、チュチュンドラは、残念ながらこの『○○+インドラ』の公式通り、というわけではないようだ。